トップページ
│
What's new?
│
イベント
JUNKOってなに?
顧問紹介・JUNKO紹介 -
組織概要
-
JUNKOってなに?
-
トップページ
成り立ち
/
組織概要
(
顧問紹介
/
JUNKO紹介
) /
JUNKO's history〜経緯〜
/
年間活動予定
[
English
]
■ 顧問紹介
名前
江橋 正彦
所属
明治学院大学国際学部教授
JUNKO Association顧問
専門分野
移行経済諸国と東南アジア諸国の開発問題に関する研究
東南アジア諸国の経済発展と日本の役割について考察。
一国の経済発展に影讐を及ぼす政治・経済・社会・文化 の諸要因を分析するとともに、日本の援助、投資、貿易を通して、東南アジアとの関係を見直します。
略歴
1943年生まれ。
1967年 早稲田大学卒業。
ヘキスト・ジャパン(株)を経て、1969年日本貿易振興会(ジェトロ)入会。
主として中国、ベトナム経済の調査研究に従事したあと、
1979年〜82年 ジェトロ・マニラ勤務。
1981〜82年 国連ESCAPのコンサルタントとして、アジア太平洋協力プロジェクトに参加。
1983年〜84年 外務省専門調査員として、在フィリピン日本大使館に勤務。
1987年 明治学院大学国際学部助教授。1991年同教授。
1991年〜92年ニュージーランド経済研究所(ウェリントン)客員研究員。
2000年〜2002年国際学部長。
著書
・ 『新生ベトナムの経済』(共著、ジェトロ)
・ "Asian Pacific Countries Toward the Year 2000"(共著,APDC)
・ 『東南アジアの経済』(共著、弘文堂)
・ 『アジアの財閥と企業』(共著、日本経済新聞社)
・ 『台頭するベトナム』(共著、中央公論社)
・ 『21世紀のベトナム』(編著、ジェトロ)
・ 『アジア経済ハンドブック2003』(共著、全日法規)など
▲このページのトップへ戻る
■ 江橋先生によるJUNKO紹介
現在、明治学院大学の学生を中心に国際協力NGOとして活躍している
ジュンコ・アソシエーション
は、
高橋淳子
さん の死がきっかけで誕生した。
その意味では、
「淳子からの贈り物」
であったといえる。
「東南アジアの経済発展と日本の役割」を研究テーマとする、私のゼミの3年生であった高橋淳子さんは、93年の夏休みに同じゼミ生の須田華蓮さんと一緒にベトナムを旅した。ベトナムへの外国直接投資の役割を調査することがねらいであったが、約1ヶ月のベトナム滞在で、ベトナムの人々の温かさやたくましさに感動するとともに、貧しく学校に行けない子どもたちの姿に胸を痛めた。
ドイモイ政策のもとで市場経済化が開始され、ベトナム経済はようやく92年から高度成長軌道に乗りはじめたものの、ベトナム社会は社会主義からの移行期特有の混乱に見舞われていた。社会主義時代にすべて無料であった学校教育は、財政困難から一部有料となり、現金収入の乏しい家庭の子どもたちの多くは学校に行けない状態にあったし、校舎不足から2部制あるいは3部制の授業が一般的であった。
淳子さんは、帰国後私に提出した報告書とともに、「ベトナムを旅して考えたこと」という感想文を寄せ、 「この旅を通して自分の将来の仕事の目標が明確になった」
「世界の子どもたちが満足な教育を受けられるそのような世界を創造するために貢献することだ」
と書いた。
しかし、それから約2ヵ月後の12月9日、彼女は交通事故で亡くなり、その感想文が事実上の彼女の「遺書」となった。
淳子さんのご両親は、淳子さんの遺志を継いで、葬儀の際に集まった香典や淳子さん名義の貯金をベトナムの教育のために寄付したいと申し出た。私はその寄付を有効に活かすため、ベトナムの友人たちに相談し、結局、彼女の旅の想い出が深かったベトナム中部ダナン市近郊の貧しい農村
ディエンフォック村
の小学校建設に寄付を充てることとなった。
このあたりは、ベトナム戦争当時、激戦区のひとつであったことや毎年の洪水できわめて貧困であった。既存の小学校は、650名の生徒にもかかわらず、5教室の粗末な校舎しかなく、授業は3部制で行われていた。淳子さんのご両親は、ここに2階建て8教室と体育館のついた学校を建設することを決め、1,300万円を寄付することになった。ベトナムの日刊紙"トイチェ"はこれを報じ、ベトナムの全国テレビでも放映され、ベトナムの人々の心を打った。
新しい校舎は95年9月に完成した。村の人たちは、淳子さんの話に感動し、この学校を
「ジュンコ・スクール」
と名づけた。
「ジュンコ・スクールを支援する会」
が私のゼミ生中心に95年3月に発足し、その後、ジュンコ・アソシエーションという現在の名前に変わった。ジュンコ・アソシエーションの最初の役割は、学校の生徒や教員の机や椅子、教壇、本箱、図書、楽器、スポーツ用品などを支援することであったが、日本の新聞各紙やテレビで報道されたこともあり、寄付が集まり、学校の机や椅子は村の人たちに発注して製作をお願いすることができた。また、松下電器から頂戴した29インチのテレビ、大学から頂戴した壁掛け時計、ジュンコ・アソシエーションが集めた中古のピアノやリコーダーなどの楽器や教材用のビデオ・テープ、各種の図鑑などを満載した2個のコンテナを笹川平和財団の輸送支援をうけて送ることができた。
ジュンコ・アソシエーションのメンバーは春と夏の休みに定期的にジュンコ・スクールを訪ね、小学生と交流を続けるほか、まもなく、ジュンコ・スクールの生徒およびダナン近郊の貧困地区の貧しい子供たちにわずかながら奨学金を供与する事業を立ち上げた。そのための資金を稼ぐため、
ジュンコ・ビジネスチーム
が発足、ベトナムの雑貨を買い付け、日本で販売する事業も始まった。一時は、10数名に減ったアソシエーションのメンバーもその後、約60名に増え、組織運営の悩みを抱えるようになった。
他方、ジュンコ・スクールは、先生たちの熱心な指導のおかげで、生徒の成績が大幅に改善、ディエンバン群で1番の成績を修めるようになった。生徒数も850名に増え、教室が不足するようになった。こうした折、2000年に杉並文化村(野坂昭如村長)の渡辺事務局長らのご尽力で、4教室の増築が成り、ジュンコ・スクールはベトナムの「国家基準」(施設、教員、学業など)を満たすモデル校の認定を受けるにいたった。ジュンコ・アソシエーションは、2001年1月には、朝日新聞に紹介された記事がきっかけで、
シチズン・オブ・ザ・イヤー
(100万円)を受賞し、さらに、同年6月、キワニス・インターナショナルからも
青少年教育賞
(30万円)をいただく栄誉に預かった。これらの賞金はジュンコ基金に組み入れられたが、基金にはそのほかの方から頂戴した貴重な寄付金が手付かずに残されていた。
しかし、これらの基金が活かされる時がまもなくやってきた。ミャンマーの首都ヤンゴンから北西へ約140キロ、イラワジ河から少し内陸に入った鉄道の分岐点に
レパダン(Letpadan)
という約230年の歴史を持つ小さな町があるが、この町の由緒ある学校
レパダン・ベーシック・ナンバーワン・ハイスクール
(幼稚園から10年生までの一貫教育で、教員69名、生徒数2、050名)に2002年9月、ジュンコ・アソシエーションとレパダンの有志の方たちの寄付で木造2階建て8教室の校舎(写真)が完成、ここがジュンコ・アソシエーションのベトナムに次ぐ第2の活動拠点となった。
ジュンコ・アソシエーションがここに拠点を設けることになったきっかけは、私が1998年にミャンマーの親友で実業家のティンマウンオーさんの招きで彼の出身校であるこの学校を訪ねたことから始まった。英国植民地時代の初期に中学・高校教育を目的に建てられた校舎の一部はすっかり老朽化し、危険な状態にあったばかりか、学生数の増加からひとつの教室で間仕切りもなく2学級が学んでいる状態だった。慢性的な財政赤字で、校舎を維持するための国からの予算はほとんどなく、先生の平均給与も1ヶ月約15ドルときわめて低く抑えられていた。
にもかかわらず、学校の先生たちは教育熱心で、生徒たちは素直で礼儀正しくすがすがしかった。伝統あるこの学校の生徒たちは、例年、高校の統一試験で優秀な成績をおさめており、2000年度には全5教科の総合点で全国1位となった女子学生を輩出している。ティンマウンオーさんは、この学校にパソコン教室を寄贈するなど、日頃から学校の発展に心を尽くしていたが、「せめて校舎の一部だけでも建て替えたい」、「外国人の来ないこの町に日本の学生たちを呼んで国際化の風をあてたい」というのが彼のかねてからの願いであった。一昨年から、ジュンコのメンバーがホームステイをしながらこの学校の生徒たちとの交流を行い、
レパダンに日本の風が吹き始めた
。 日本の学生たちはミャンマーの家庭の温かさに感激し、レパダンの生徒たちは交流から刺激を受け、日本語や英語の勉強に熱を入れるようになった。
ジュンコのメンバーは今では、
ベトナム
と
ミャンマー
という二つの活動拠点を持ち、両国の比較からそれぞれの社会をより深く学ぶ視点を持った。また、それぞれの社会にかかわりながら、日本や自分を見つめる貴重な機会を得ている。
考えてみると、高橋淳子さんの死から10年、ジュンコ・アソシエーションの発足から8年、学生だけのこの組織が消滅もせずに、これまで活動を続けてきたものだと思う。もちろん、メンバーの学生一人一人の熱き心とそれを支援してくれる多くの方々に支えられているせいだが、もしかすると淳子さんが天から見守ってくれているおかげではないかと思うことも多い。社会人のNGOと異なり、せっかく育った学生はやがて卒業していく。このため、活動の継続性や組織のより高度な発展は期待しにくい。
それでもいい。「淳子からの贈り物」のこのジュンコ・アソシエーションに身をおいて、世界を広げ、自分の社会的役割を自覚した学生たちが一人でも多く社会に出て行ってくれたら、また、彼らと接触したベトナムやミャンマーの子どもたちが彼らから刺激を受けて大きく育ってくれたら。
▲このページのトップへ戻る