JUNKO Associationは明治学院大学の学生を中心に、子どもたちの将来に大きく影響を与える教育を大切にし、教育環境の改善と地域の発展を様々な面からサポートすることを目指すNPO団体です。
私たちは、世界の子どもたちが人として十分に発達することで、彼ら自身が持つ潜在能力を将来において存分に発揮できる社会を目指しています。また、日本など先進諸国の人々が開発途上国の抱える問題や地球規模の問題を理解し、ともに生きることのできる公正な社会が実現されることを願っています。
Mission
教育支援を通して、世界の子どもたちの学びの基盤を作る
To build learning foundations for children worldwide through educational support.
Vision
誰もが教育を受け選択肢を持てる社会へ、そして世界の子どもたちに思いを馳せ行動できる人へ
Toward a society where everyone can receive an education and have choices in life - and toward a team that continually cares about and acts for children around the world.
Value
現地を第一に、ともに学び向き合い続ける
Put local communities first and continue learning and engaging together.
互いを尊重し、支え合いながら成長する
Respect and support one another while growing together.
学年主体で挑戦し、実践する
Take initiatives as students to challenge ourselves and put ideas into practice
私たちはこれらの理念をもとに、ミッションを達成するべく、ベトナムとミャンマーで活動をしています。また、学生が運営主体となる当法人は、学生の高い志・想像力や行動力を尊重し、活動を通して学生たちの能力や視野を拡げることを期待しています。
ある一人の女性の想いから JUNKO Associationは成立しました。
当時、明治学院大学国際学部の3年生であった高橋淳子さんは、ゼミで東南アジアの経済発展について研究をしていました。ベトナムを訪れた彼女は現地の人々の優しさを感じると共に、途上国という国の貧しさに直面し、「ベトナムの貧しい子どもたちのために何か役に立ちたい」 という強い想いを胸に帰国します。
しかし、その数ヵ月後に不慮の交通事故に遭いこの世を去ることとなってしまいました。
彼女の遺志が末永くベトナムの地に残るように、ベトナムの子どもたちの笑顔のためにと、ご両親は淳子さんの積立金や集まった香典を提供し、ゼミの仲間たちは学校内で募金活動を行いました。
これによって、1995年9月にベトナム中部の都市ダナンに近いクァンナム省ディエンフォック村の小学校を改築しました。村人は感謝の意を込めて、この小学校を「JUNKO School」と名づけます。
そしてJUNKO Associationの前身が、当時のゼミ生を中心に発足し、明治学院大学の学生を中心に現在まで活動して参りました。2005年に10周年を迎え、2007年11月からはNGO団体からNPO法人(特定非営利活動法人)へと変化を遂げました。
「旅をして感じたこと」
今回の旅行ではいろいろな事を体験して学んだ。それはベトナムのことでもあるし、自分自身のことでもある。今まで何度か旅行をしたことがあったが、初めて東南アジアそして社会主義国を渡り、ショッキングなこと、心温まること、辛かったこと嬉しかったことなど数え上げたら切りがなく思い出される。いまだにベトナムで心に受けたインパクトは深く、かえって日本に帰ってきてからの方が衝撃が大きかったりするのである。まだ自分の中で整理がついておらず自信のある答えがまとまっておらず、また此のことは人に言うようなことでもないのであえて言及はしないが、一つ言えることはベトナムへ行って私の人生観や価値観は180度転換し考えさせられつつあることは事実である。この過程が私を良い方へ導いてくれるということであろうと期待したい。
自分の中での変化の事とは別にベトナムでの体験を少し語りたい。
ベトナムでは老若男女、身分を問わず多くの人と接することができた。中でもダナンで知り合ったJonという青年は私の中で大きな存在を占めている。ダナンで泊まっていた安宿を一歩出たとき、同い年くらいの若者十数名に囲まれ何やらベトナム語で話しかけられた。だれ一人として英語の通じない人たちばかりの中に一人だけ流暢に私に英語で話しかけてきた人がいた。彼がJonで周りの人は彼の友達であった。ふとした偶然から大変仲良くなりその晩遅くまで自転車を連ねて語り明かすことになった。彼らはみな素朴で深く心を許せる、本当の友達になった。なぜJonだけ英語を話すかというと、彼はもはやベトナム人ではなくてアメリカ人だからである。つまり彼は11歳の時お兄さんと2人で、ベトナムの家族を残し、ボートピープルとなってアメリカへ移住した。現在はUCの大学生であり、昼間はアルバイトをして生活費を稼ぎ、夜は大学へ通っている。たまたま私たちがJonとあったとき彼は一時帰国していたのだ。次の日はJonの残された家族と友達と供に、Jonを見送りに行った。お母さんが終始涙を流しながらJonを抱きしめ、又幼い妹たち大勢の友達が別れを告げに来ているとき、彼は私にこういった。
「つぎいつもどれるか分からないんだよ。」
家族がばらばらになって暮らすことの辛さやもう随分と昔のことであったと思っていたベトナム戦争の歴史の一片を覗いたような気がし、この家族にとってはまだ戦争は歴史になっていないのだということに気づいた。
彼とは今でもコンタクトを取っており手紙のやりとりをしているのだが、自分にもベトナムにいる彼の家族や友達の為に何か出来ることはないかと、以前訪ねたことがある。私だけ日本で何不自由なく暮らしているのが辛く、また現地に滞在している時だけ慈悲の心を持ち、帰国して普段の生活に戻ってしまうと、ベトナムで考え、肌で感じたものがすべて思い出になってしまうのが大変恐かったのである。それではテレビのドキュメンタリーを見てその時は涙を流すのだが、次の瞬間にはお笑い番組を見て笑っているのと変わりないのではないかと思った。感じたままを行動にうつさなければ自分自身も前進しないし、世界的平和も訪れないのではないかと考えたのである。出過ぎた親切心かもしれないが、Jonに何か出来ることはないかと聞いた。つぎの手紙ではやはり現実的な答えは帰ってこなかった。
“The only thing that you can do is to pray for them, pray for them their health and well-being” 「祈るだけである」
と言われたのである。今の私には経済的に彼らの助けになることは出来ないが、ベトナムにいる友達のためだけではなく途上国で生活をする多くの人びとが健康的に暮らし、十分な教育を受けられるような体制を、援助という範囲だけでなくあらゆる面からサポートできるような、そしてそのように考えられる余裕のある人なり世界なりを創造していかなければならないと思う。
物事には全て正と負がある。私が存在すれば私と正反対の人が存在し、+の極があれば-の極があるように、豊かな人が一方でいれば貧しい人がもう一方で存在するのである。しかし、日本という国一国に限って見てみると、貧富の差が少なく、皆が平均値に集中している現象がみうけられる。その日本という範囲を広げ、世界全体が平均値により歩み寄っていくことが理想なのではないだろうか。水を低い所へ引き上げるのは大変なことであるが、高いところにある水を低い所へ流れるのは容易なことであるように、私たちの世界もまた豊かな人々が譲歩して貧しい人びとの助けになることが、地域間の格差を埋めることへの大きなステップになるのであろうと思う。
高橋 淳子(1972~1993年、享年21歳)